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2011年12月23日 12:57
横浜美術館で開催されている松井冬子展「世界中の子と友達になれる」(2012年3月18日まで)に行ってきた。
松井冬子の作品は、一度だけ成山画廊で見たことがあり、狂気と正気の狭間を描く幽玄世界に一瞬で引き込まれ、以来、まとまった展示の機会をずっと待っていたのだ。
あるいは、以前あるテレビ番組で松井冬子の語っていたことが――とりわけ、先日訪れたホキ美術館において、リアリズム的表象による女性像を多数見てきたこの時期であればなおさら――思い起こされるのである。曰く、「女性が女性を描くのは当事者研究だから構わないが、男性が女性(のエロス)を描くのは越権行為である」と。
「越権行為」という言葉の刺激もさることながら、「当事者研究」という言葉に込められた眼差しの冷徹さを思わずにいられない。そして、そのストイシズムの結実として見ることになった今回の展覧会において、私は初め溢れんばかりの意味に身を浸し、しかし後半に至って私の言葉は完全に奪われた。
負けを――仮にそれが現時点での限定的なものであるとしても、負けを認めなくてはならないことは苦しいが、そこに至るまでの道のりを記しておくことは、明日の自分にとって無駄ではないと思われるので、これからいくつかの特徴をたどりながら、この展覧会の印象を記述してみよう。
松井冬子の作品を見ていく時、もちろん作品そのもののもたらす印象は鮮烈なわけだが、それとともに無視することができないのが作品につけられたタイトルの独特さである。過剰に思われるほどに意味が織り込まれた上、絵そのものとは容易に結びつかないそれらのタイトル――《切断された長期の実験》や《なめらかな感情を日常的に投与する》と聞いて、どんな絵を思い浮かべるだろうか――は、しかし、これから松井冬子作品と切り結んでいく上で無視することができない。つまり、作品が見る者の積極的解釈を要求しており、そこにある絵をそのもの自体として楽しむなどという生ぬるい鑑賞は許容されないということだ。タイトルは、この意味で、明確に挑発である。
現実と非現実がない交ぜになって表現される作品世界は、いくつかの特徴的な題材をもっている。たとえば、肉感的な花弁、動物の毛や女性の髪、そして開かれた皮膚と露わになった内臓――言葉として記述すれば、それらの対象はその実体としての意味を免れないが、作品中に表れたそれらは、あからさまに意味を奪われている。それらは、具体物の表現でありながら、どこまでも抽象的な存在に近づいていく。とりわけ、線でも面でもなく、量感として表現される髪の毛は、それだけで別種の有機体であるかのような印象をもたらす(「髪は女の命」という言葉があるが、ここではその「命」が、女から外化された固有性を持ってしまっている。《思考螺旋》や《足の皮を引きずり歩く》を見ると、それがよくわかる)。あるいは臓器は、観察に基づくリアルな描写によって表現されているにも関わらず、むしろ抽象的な内心の表出であるように見える。皮膚によって覆い隠されている内心の告白。その複雑な情念の現れとして描かれた臓器は、文字通り女性の体の内に詰め込まれ、グロテスクながらも血に塗れて美しく輝く宝石のようでもある。
これが、女性の描く女性ということの、一つの極点であると思われる。美しさとは、エロスとは、狂気とは、男たちの眼差すことが可能な、皮膚としての表層において実現されているものではない。
そして、それらの象徴表現は、非常に緻密に構築されている。展覧会のタイトルにもなっている《世界中の子と友達になれる》は、松井冬子の学部時代の卒業制作のタイトルだが、今回は作品と共に、その制作過程を垣間見ることができる写生、習作、下図が公開されていた。中でも、下図に書かれたメモの数々は、この独自の世界が決して単なる感性の直接的な表出によって生まれたわけではないということを教えてくれる。
そんな中、メモの中にこんなものがあった。
「顔・肌だけは/失敗できない一発ギメ」
私はどきりとした。小説にも同じことが言える部分があるのではないかと思ったからだ。しかも、それは結果から遡って――その時の集中や勢いが、推敲の手を拒絶するということではなく、ある場面が、その場面的必然性から「一発ギメ」を要求するような状況である。
そしてその「一発ギメ」を可能にするのは、確固たる技術であるのだが、その技術のことを考える段に至って、私は言葉を失う。
今回の展覧会では、この《世界中の子と友達になれる》の後、かなりまとまった分量の写生や下図が展示されていたのだが、ここでは松井冬子の技術的な確かさ、巧さに舌を巻かざるを得ない。特に、先にも挙げたが、重要なモチーフの一つである臓器のスケッチは、それだけですでに一つの作品的到達を感じさせるものである。であれば、これを日本画という方法に落とし込むことは、何を生起させるのか。
省略による記号的表現、それは現実の対応物からの遊離をもたらす。一方で、細密表現は現実の対応物を想起させる。日本画的表現において、象徴性と写実性は相補的に機能し、写実が象徴性を獲得し、象徴性が写実を獲得するということが起きる。これは、実は現実に肉迫する方法なのではないか、と思うのだ。
現実は、一見写実的であるように見えるが、対象を記号や象徴と取ることなしには、コミュニケーションも生活もできない。例えば、目の前にいる人間の表情から意味を読み取らずに、十全なコミュニケーションを実現することは不可能だろう。一方で、認識対象が常に写実であるというのも間違っている。我々は、慣れ親しんだ存在であればある程、写実的には対象を認識していない。家族の顔を改めてまじまじと見つめた時に感じる違和感は、その分かりやすい実例だろう。細部を捨象して認識しているからこそ、後姿やすれ違いざまの一瞬だけで、相手を認識することが可能になる。
さて、ここまで来て、私は言葉を失う。松井冬子の表現が、容易に表象しがたくも確実に存在している現実を想起させるものであることは確かだ。そして、言葉にもそういった方法が可能性として内在されていることを知っている。
展覧会も終わり近く、「九相図」というパートがある。「九相図」とは、「人間が死んで腐敗し骨へと変ずるさまを9つの段階に分けて示した、仏典にもとづく絵画」である。松井冬子はこの主題のもとに連作を描いており、現在、完成している五作品が展示されていた。死と腐敗、それを取り巻く環境も含めて描かれたこの連作、一枚一枚の完成度はもちろんのこと、それを連作として見ていった時、最後におかれた《四肢の統一》の前で立ちつくさざるを得ない。
咲き乱れていた花は失われ、頭蓋と脊椎の一部だけが横たわる。柳と思しき木は風を受け、遠くには新円を描く月。――言葉はモノに寄り添う。しかし、ここで生まれたのは言葉で語ることのできる感覚ではなかった。
描くことは、描けないものを描くこと。対象と象徴の隙間から溢れだす情念を、過剰に虚飾された表題が歪ませ、見る者の安易な結論を拒み続ける。
であればこそ、わたし自身もまた「当事者研究」を続ける以外にはないのだ。たとえそれが「越権行為」だとしても。死と狂気の研究に突き進む松井冬子自身が、奇しくもそのことを証明してくれている。
松井冬子の作品は、一度だけ成山画廊で見たことがあり、狂気と正気の狭間を描く幽玄世界に一瞬で引き込まれ、以来、まとまった展示の機会をずっと待っていたのだ。
あるいは、以前あるテレビ番組で松井冬子の語っていたことが――とりわけ、先日訪れたホキ美術館において、リアリズム的表象による女性像を多数見てきたこの時期であればなおさら――思い起こされるのである。曰く、「女性が女性を描くのは当事者研究だから構わないが、男性が女性(のエロス)を描くのは越権行為である」と。
「越権行為」という言葉の刺激もさることながら、「当事者研究」という言葉に込められた眼差しの冷徹さを思わずにいられない。そして、そのストイシズムの結実として見ることになった今回の展覧会において、私は初め溢れんばかりの意味に身を浸し、しかし後半に至って私の言葉は完全に奪われた。
負けを――仮にそれが現時点での限定的なものであるとしても、負けを認めなくてはならないことは苦しいが、そこに至るまでの道のりを記しておくことは、明日の自分にとって無駄ではないと思われるので、これからいくつかの特徴をたどりながら、この展覧会の印象を記述してみよう。
松井冬子の作品を見ていく時、もちろん作品そのもののもたらす印象は鮮烈なわけだが、それとともに無視することができないのが作品につけられたタイトルの独特さである。過剰に思われるほどに意味が織り込まれた上、絵そのものとは容易に結びつかないそれらのタイトル――《切断された長期の実験》や《なめらかな感情を日常的に投与する》と聞いて、どんな絵を思い浮かべるだろうか――は、しかし、これから松井冬子作品と切り結んでいく上で無視することができない。つまり、作品が見る者の積極的解釈を要求しており、そこにある絵をそのもの自体として楽しむなどという生ぬるい鑑賞は許容されないということだ。タイトルは、この意味で、明確に挑発である。
現実と非現実がない交ぜになって表現される作品世界は、いくつかの特徴的な題材をもっている。たとえば、肉感的な花弁、動物の毛や女性の髪、そして開かれた皮膚と露わになった内臓――言葉として記述すれば、それらの対象はその実体としての意味を免れないが、作品中に表れたそれらは、あからさまに意味を奪われている。それらは、具体物の表現でありながら、どこまでも抽象的な存在に近づいていく。とりわけ、線でも面でもなく、量感として表現される髪の毛は、それだけで別種の有機体であるかのような印象をもたらす(「髪は女の命」という言葉があるが、ここではその「命」が、女から外化された固有性を持ってしまっている。《思考螺旋》や《足の皮を引きずり歩く》を見ると、それがよくわかる)。あるいは臓器は、観察に基づくリアルな描写によって表現されているにも関わらず、むしろ抽象的な内心の表出であるように見える。皮膚によって覆い隠されている内心の告白。その複雑な情念の現れとして描かれた臓器は、文字通り女性の体の内に詰め込まれ、グロテスクながらも血に塗れて美しく輝く宝石のようでもある。
これが、女性の描く女性ということの、一つの極点であると思われる。美しさとは、エロスとは、狂気とは、男たちの眼差すことが可能な、皮膚としての表層において実現されているものではない。
そして、それらの象徴表現は、非常に緻密に構築されている。展覧会のタイトルにもなっている《世界中の子と友達になれる》は、松井冬子の学部時代の卒業制作のタイトルだが、今回は作品と共に、その制作過程を垣間見ることができる写生、習作、下図が公開されていた。中でも、下図に書かれたメモの数々は、この独自の世界が決して単なる感性の直接的な表出によって生まれたわけではないということを教えてくれる。
そんな中、メモの中にこんなものがあった。
「顔・肌だけは/失敗できない一発ギメ」
私はどきりとした。小説にも同じことが言える部分があるのではないかと思ったからだ。しかも、それは結果から遡って――その時の集中や勢いが、推敲の手を拒絶するということではなく、ある場面が、その場面的必然性から「一発ギメ」を要求するような状況である。
そしてその「一発ギメ」を可能にするのは、確固たる技術であるのだが、その技術のことを考える段に至って、私は言葉を失う。
今回の展覧会では、この《世界中の子と友達になれる》の後、かなりまとまった分量の写生や下図が展示されていたのだが、ここでは松井冬子の技術的な確かさ、巧さに舌を巻かざるを得ない。特に、先にも挙げたが、重要なモチーフの一つである臓器のスケッチは、それだけですでに一つの作品的到達を感じさせるものである。であれば、これを日本画という方法に落とし込むことは、何を生起させるのか。
省略による記号的表現、それは現実の対応物からの遊離をもたらす。一方で、細密表現は現実の対応物を想起させる。日本画的表現において、象徴性と写実性は相補的に機能し、写実が象徴性を獲得し、象徴性が写実を獲得するということが起きる。これは、実は現実に肉迫する方法なのではないか、と思うのだ。
現実は、一見写実的であるように見えるが、対象を記号や象徴と取ることなしには、コミュニケーションも生活もできない。例えば、目の前にいる人間の表情から意味を読み取らずに、十全なコミュニケーションを実現することは不可能だろう。一方で、認識対象が常に写実であるというのも間違っている。我々は、慣れ親しんだ存在であればある程、写実的には対象を認識していない。家族の顔を改めてまじまじと見つめた時に感じる違和感は、その分かりやすい実例だろう。細部を捨象して認識しているからこそ、後姿やすれ違いざまの一瞬だけで、相手を認識することが可能になる。
さて、ここまで来て、私は言葉を失う。松井冬子の表現が、容易に表象しがたくも確実に存在している現実を想起させるものであることは確かだ。そして、言葉にもそういった方法が可能性として内在されていることを知っている。
展覧会も終わり近く、「九相図」というパートがある。「九相図」とは、「人間が死んで腐敗し骨へと変ずるさまを9つの段階に分けて示した、仏典にもとづく絵画」である。松井冬子はこの主題のもとに連作を描いており、現在、完成している五作品が展示されていた。死と腐敗、それを取り巻く環境も含めて描かれたこの連作、一枚一枚の完成度はもちろんのこと、それを連作として見ていった時、最後におかれた《四肢の統一》の前で立ちつくさざるを得ない。
咲き乱れていた花は失われ、頭蓋と脊椎の一部だけが横たわる。柳と思しき木は風を受け、遠くには新円を描く月。――言葉はモノに寄り添う。しかし、ここで生まれたのは言葉で語ることのできる感覚ではなかった。
描くことは、描けないものを描くこと。対象と象徴の隙間から溢れだす情念を、過剰に虚飾された表題が歪ませ、見る者の安易な結論を拒み続ける。
であればこそ、わたし自身もまた「当事者研究」を続ける以外にはないのだ。たとえそれが「越権行為」だとしても。死と狂気の研究に突き進む松井冬子自身が、奇しくもそのことを証明してくれている。
2011年12月18日 07:28
千葉県のホキ美術館で開催されている「存在の美―まなざし、微笑み、憂い」展(5月20日まで)に行ってきた。
ホキ美術館は、日本初の写実絵画専門美術館だそうで、企画展の展示以外にも、常設展示として沢山のリアリズム絵画が並んでいる。特に美術館の最深部に位置するギャラリー8に展示された巨大な作品群は圧巻だ。
とはいえ、今回、片道三時間近い時間をかけて、この美術館を訪れたのには明確な理由がある。それは、自分の中に存在する「リアリズム絵画」への疑問を氷解させることだ。その疑問をごく簡単に述べればこうなる。
「リアリズム絵画と写真はどう違うのか」
「リアリズム絵画の方法は、何を可能にするのか」
そして、実際にホキ美術館へ向かう途上、この疑問はもう少し具体的な形を取った。
「絵画が省略によるシンボルの形式だとすれば、リアリズム絵画は、描かないという選択の放棄ではないか。だとすれば、対象を描き尽くした結果として、逆に描かれ得なかった何かがそこに表れるのではないか」
さて、それを掴むための語りを始めよう。
私が美術館を訪れたのは平日の午前中だった。であるにもかかわらず(そして何より、このような不便な場所であるにもかかわらず)そこそこ多くの来場者が見られたということに、まずもって驚いた。奥さま、あるいはシルバー世代の彼ら彼女らは、一枚、また一枚と歩みを進めつつ、異口同音に語る。
「すごい、写真みたい」
「本当にリアルね。特に髪の毛がすごいわね。一本一本描いてあって」
話を聞くに、おそらく多くの来場者が、実際に絵を描くようである。カルチャーセンターなどで指南される絵画の終着点は、おそらく見たままに描くことであり、だとすれば、来場者の目には、これらのリアリズム絵画が自分のやっていることのまさに究極形態として映るのだろう。
当然、リアリズムは、一つの技術的到達である。その到達なしには、リアリズムは立ち上がらない。だからこそ、私は来場者が一様に「髪の毛」に感心する様子に違和感を覚えた。
私自身がこの展示の中で真っ先に注目したのは、画面における筆触の存在である。今回の展覧会のフライヤー、画集、インターネットの画像、これらでは確認できないことの一つが、作品の筆触であるからだ。
筆触を極限まで消去していたのが石黒賢一郎であった。他の画家が、幾分の筆触をその絵画的効果として残しているのに対して、石黒はその痕跡をどこまでも消去する。例えば、ある教室の風景を描いた《存在の在処》という作品では、画面右側に位置する教師と思しき男性もさることながら、その後ろにある黒板や、その横にある掲示板の行事予定表やカレンダー、あるいは木の桟に貼られた小さなシールを追っているうちに、その学校に入り込んでいるような気分を催す。結果として、絵の具の存在はどこまでも透明なものとなり、描かれた対象と直接に限りなく近い形で向かい合うこととなる。これは、紛う方なき技術的到達である。
では、なぜ鑑賞者は一様に髪の毛のみを賛美し、それ以外の部分に言及しなかったのか。
髪の毛から筆触を消し去ることはできない。髪の毛は面ではなく線であり、線は筆の動きの痕跡によってしか表現し得ないからだ。
技術を何と定義付けるかは難しいが、例えばこんな言い方はできないだろうか。
「技術とは、身体を時間に従って操作する技法である」
技術にはもちろん、巧みな動きや細密な動きが欠かせない。しかし、それよりも広範に重要視されるのが、スピードやタイミングといった時間に関わる要素である。また、考えようによっては、巧みさや細密さを実現するのも、時間の問題であるとも言える。ゆっくりした時間の流れの中で、安定した動きを実現する。それを、長時間にわたって継続する。どうやら、技術は時間のモードである。
だとすれば、筆触はまさに技術の時間的痕跡である。髪の毛の一本は、まさにそれが描かれる時間の表現であり、頭髪はその集積である。
カルチャーセンター的技術の到達点。そこから見れば、髪の毛のリアリズム的表現は、間違いなく究極のお手本である。
その一方で、「写真」のことを考える。
線は絵画の技術であるが、写真が実現するのは、一瞬のうちに被写体を面に移しこむ技術であり、その点に注目しながら鑑賞を続けると、そこでは面についての多様な実験が行われていることに気づかされる。筆触そのもののコントロールもそうであるし、材質による表現の選択、背景との境界の表現、あるいはハイライトによる光の表現や絵具そのものの光沢は、絵画が写真的になる直接的な要因となっていた。
しかし、そんな中で大矢英雄の作品は異質だ。背景が抽象画的であることは、実はどうでもいい。髪の毛以外の人物の表面(肌や衣服)が引っ掻いたような微細な線で覆われているのだ。帰宅してネットで調べると、面相筆によるハッチングによって描かれたものだと分かったが、そのラギッドな面は、少し距離を置いただけでざわめく表層へと埋没してしまう。人間の知覚の分解能がそんなものに過ぎず、むしろ見えないことによって全体へと還元される効果というものをまざまざと見せつけられた。
あるいは、似た体験で言えば、原雅幸の風景画を上げるべきだろうか。絵を前に後ろに歩くと、ある瞬間を境にして、絵画が写真になる。逆に前進すれば、写真は絵画になる。ここでは、知覚が情報を捨てることによって成立するということを思い知る。そして、だとすればリアリズムとは何なのかといった疑問が立ち現れてくる。
しかし、彼ら一般の鑑賞者にはそれが見えない。写真みたいだと言う時、対象から時間のモードは捨象され、画面が面として単一の認識のもとに置かれる。
写真に近づこうとすること、それ自体を不純だとは思わない。写真もまた、形式だからだ。
実は、ホキ美術館に行きたかった理由、あるいはリアリズム絵画の実物を見たかった理由は、もう一つある。それは最初に書いた「リアリズム絵画の方法は、何を可能にするのか」という疑問に連なるものである。
唐突だが、私が考えていたのはカール・ブロスフェルトの写真のことだ。彼は植物のクロースアップを多く撮った写真家で、その肉感的な植物の姿は、例えば昆虫の視点から見た植物の世界のような生々しさに満ちたものではなく、むしろ意味を剥ぎ取られたモノそれ自体が浮かび上がることによって捉えられたものである。
つまり、サイズの問題だ。
対象の大きさを変更することは、最もたやすい異化の方法だ。たやすいからと言って陳腐であるということでもなく、むしろ、普段認識しているサイズが崩されることは、日常感覚をも危うくする。
だからこそ、残念だった。展示された作品に描かれた対象のサイズが、ある作品を除いて、全く何の不安感を煽るものでもなかったからだ。風景はすべからく遠景であり、静物画は実物大かそれよりも大きく、人間は等身大かそれよりも小さく。特に人物画は、一部の自画像、肖像画を除いて、無名の女性をモデルにしたものばかり。どれも同じようなサイズで描かれた女性たちは、ストレートの髪の毛と、滑らかな肌、整った顔立ちを持ち、美しい以外の形容が浮かばない。多くは柔らかな光に包まれ、多くは柔らかな布をまとい、いくつかはソファやベッドに寝そべり、いくつかは露わになった背中をこちらに向けている。シンボルの形式? とてもそうは思えない。
それは、画家が守られる形式なのではないか。画家が、安心して対象の描写に打ち込める形式なのではないか。それは方法としてのリアリズムとは程遠い。自己目的化したリアリズム。リアリズムのためのリアリズム。やはり、リアリズム絵画はカルチャーセンターの行きつく先でしかないのか。
「絵画が省略によるシンボルの形式だとすれば、リアリズム絵画は、描かないという選択の放棄ではないか。だとすれば、対象を描き尽くした結果として、逆に描かれ得なかった何かがそこに表れるのではないか」
この疑問は、希望だった。今回の展覧会を紹介してくれた友人の美術家は、リアリズムに価値を認めていなかった。しかし、小説を書く身として、それはとても困ることでもある。なぜなら、小説における描写は、リアリズムに依拠するしかないからだ。言葉はいつでも現実に寄り添っている。仮に、その言葉の機能を裏切ることで幻想を描写しようとしたとしても、その裏切りそのものが言葉と現実の結び付きを前提にせずには成立しない。もちろん、小説と絵画は違う、と言うことはたやすい。しかし、それは何も生み出さない言葉だ。
美術館の最深部に位置するギャラリー8、その最後の方に、その絵はあった。
諏訪敦《untitled》――説明によると、それは彼の父の死に顔だった。それが、巨大な画面いっぱいに描かれている。唾液で一部がくっついた唇、皺と死の色に覆われた肌、そして、画面を横切って死斑のように現れた黒い染み。
実は、もう一人、途中で引っ掛かった画家がいた。磯江毅――小さな作品だったが、そこに響いていたのは死、だ。
死を描くのは難しい。死者を、死体を描けば死を描いたことになるのか。もちろん、ことはそんな単純な問題ではない。
先に私は、技術を時間のモードであると語った。それをもう少しだけ突き詰めてみたい。
伝統的絵画は、例えば時間をシンボル化して提示する。ある出来事の絵を描こうとすれば、そこに描かれるのは出来事の中の一瞬でしかないはずだが、人々はそこにその出来事の全体を見て取ろうとする(宗教画を考えると分かりやすいだろう)。この場合、物語の全体をシンボル化するのが技術であり、そこに織り込まれる時間は、技術が揮われる時間とは別次元における時間的持続である。
写真は、実はこれに近い。我々が写真を見て想起するのは、その瞬間ではなく、出来事や物語の全体であるからだ。スポーツを報道する写真、思い出のスナップショット、それらは現実の時間的持続から切り出された一瞬であり、当然そこには、いかに象徴的な瞬間を捉えられるかという技術が絡んでくるものの、基本的に技術そのものが揮われるのは一瞬である。
リアリズム絵画では、これと全く逆のことが起きる。リアリズム絵画では時間をシンボル化しない。モデルが現前する場合でもしない場合でも、時間を止めなくてはならないからだ。だからこそ、「リアリズムは空間を描く」と言われるのだろう。
写真はモデルの時間を止めることを必然としない。モデルを使ったグラビアの撮影などでも、互いに体を動かしながらひたすらシャッターを切っていく姿は容易に思い浮かぶだろう。しかし、リアリズム絵画は時間を止めなくてはならない。それは、すべからく対象をモノへと、死体へと転化する。
シンボルは省略の形式だ。なぜなら、瞬間を時間的持続へと転化するのは見る者の作業であり、見る者が補完を行うために空白は必須だからだ。しかし、リアリズムはその余地を与えない。鑑賞者が、その技術や写真との類似性をしか指摘できないのは、彼らが目にしているのが死体に他ならないからだ。しかし、その死体が雄弁に語り出した瞬間、人々は言葉を失う。諏訪敦《untitled》を前に、その技術を云々することができる人間はいまい。
リアリズムにおける死――それは、対象を描ききった時、その陰画として半ば必然的に立ち現われてしまうものである。だとするならば、その事実を技術として昇華することで描くことが可能になる非現前の世界がある。リアリズムであるがゆえに描くことのできる、非リアリズムの世界。それは、安易な言葉のつなぎ合わせでは、幻想は描けないという忠告でもある。現実を突き詰めること。これ以上描き尽くせないほどに。そして、それを描いた時に初めて生が浮かび上がる。現に、死者を描いたはずのこの絵が、他のどの絵よりも生々しかったことを、この美術館を訪れた誰もが認めるであろう。
ホキ美術館は開館一周年だそうである。これから、そのコレクションは充実していくだろう。そして、日本初の写実絵画専門美術館であればこそ、いたずらなリアリズムに耽溺するカルチャー集団がこの先も訪れ続けるだろう。美術館の目的の一つは、明確に教育である。彼ら彼女らから「写真みたい」の言葉を駆逐することは、決してホキ美術館の意図にそぐわないものではないはずだ。
今後の展開に期待し、いずれまた訪れる時を楽しみにしたい。
さて、ひとまず、諏訪敦と磯江毅の画集を取り寄せてみた。サイズの問題はあるにせよ、何かを見せてくれると期待している。
ホキ美術館は、日本初の写実絵画専門美術館だそうで、企画展の展示以外にも、常設展示として沢山のリアリズム絵画が並んでいる。特に美術館の最深部に位置するギャラリー8に展示された巨大な作品群は圧巻だ。
とはいえ、今回、片道三時間近い時間をかけて、この美術館を訪れたのには明確な理由がある。それは、自分の中に存在する「リアリズム絵画」への疑問を氷解させることだ。その疑問をごく簡単に述べればこうなる。
「リアリズム絵画と写真はどう違うのか」
「リアリズム絵画の方法は、何を可能にするのか」
そして、実際にホキ美術館へ向かう途上、この疑問はもう少し具体的な形を取った。
「絵画が省略によるシンボルの形式だとすれば、リアリズム絵画は、描かないという選択の放棄ではないか。だとすれば、対象を描き尽くした結果として、逆に描かれ得なかった何かがそこに表れるのではないか」
さて、それを掴むための語りを始めよう。
私が美術館を訪れたのは平日の午前中だった。であるにもかかわらず(そして何より、このような不便な場所であるにもかかわらず)そこそこ多くの来場者が見られたということに、まずもって驚いた。奥さま、あるいはシルバー世代の彼ら彼女らは、一枚、また一枚と歩みを進めつつ、異口同音に語る。
「すごい、写真みたい」
「本当にリアルね。特に髪の毛がすごいわね。一本一本描いてあって」
話を聞くに、おそらく多くの来場者が、実際に絵を描くようである。カルチャーセンターなどで指南される絵画の終着点は、おそらく見たままに描くことであり、だとすれば、来場者の目には、これらのリアリズム絵画が自分のやっていることのまさに究極形態として映るのだろう。
当然、リアリズムは、一つの技術的到達である。その到達なしには、リアリズムは立ち上がらない。だからこそ、私は来場者が一様に「髪の毛」に感心する様子に違和感を覚えた。
私自身がこの展示の中で真っ先に注目したのは、画面における筆触の存在である。今回の展覧会のフライヤー、画集、インターネットの画像、これらでは確認できないことの一つが、作品の筆触であるからだ。
筆触を極限まで消去していたのが石黒賢一郎であった。他の画家が、幾分の筆触をその絵画的効果として残しているのに対して、石黒はその痕跡をどこまでも消去する。例えば、ある教室の風景を描いた《存在の在処》という作品では、画面右側に位置する教師と思しき男性もさることながら、その後ろにある黒板や、その横にある掲示板の行事予定表やカレンダー、あるいは木の桟に貼られた小さなシールを追っているうちに、その学校に入り込んでいるような気分を催す。結果として、絵の具の存在はどこまでも透明なものとなり、描かれた対象と直接に限りなく近い形で向かい合うこととなる。これは、紛う方なき技術的到達である。
では、なぜ鑑賞者は一様に髪の毛のみを賛美し、それ以外の部分に言及しなかったのか。
髪の毛から筆触を消し去ることはできない。髪の毛は面ではなく線であり、線は筆の動きの痕跡によってしか表現し得ないからだ。
技術を何と定義付けるかは難しいが、例えばこんな言い方はできないだろうか。
「技術とは、身体を時間に従って操作する技法である」
技術にはもちろん、巧みな動きや細密な動きが欠かせない。しかし、それよりも広範に重要視されるのが、スピードやタイミングといった時間に関わる要素である。また、考えようによっては、巧みさや細密さを実現するのも、時間の問題であるとも言える。ゆっくりした時間の流れの中で、安定した動きを実現する。それを、長時間にわたって継続する。どうやら、技術は時間のモードである。
だとすれば、筆触はまさに技術の時間的痕跡である。髪の毛の一本は、まさにそれが描かれる時間の表現であり、頭髪はその集積である。
カルチャーセンター的技術の到達点。そこから見れば、髪の毛のリアリズム的表現は、間違いなく究極のお手本である。
その一方で、「写真」のことを考える。
線は絵画の技術であるが、写真が実現するのは、一瞬のうちに被写体を面に移しこむ技術であり、その点に注目しながら鑑賞を続けると、そこでは面についての多様な実験が行われていることに気づかされる。筆触そのもののコントロールもそうであるし、材質による表現の選択、背景との境界の表現、あるいはハイライトによる光の表現や絵具そのものの光沢は、絵画が写真的になる直接的な要因となっていた。
しかし、そんな中で大矢英雄の作品は異質だ。背景が抽象画的であることは、実はどうでもいい。髪の毛以外の人物の表面(肌や衣服)が引っ掻いたような微細な線で覆われているのだ。帰宅してネットで調べると、面相筆によるハッチングによって描かれたものだと分かったが、そのラギッドな面は、少し距離を置いただけでざわめく表層へと埋没してしまう。人間の知覚の分解能がそんなものに過ぎず、むしろ見えないことによって全体へと還元される効果というものをまざまざと見せつけられた。
あるいは、似た体験で言えば、原雅幸の風景画を上げるべきだろうか。絵を前に後ろに歩くと、ある瞬間を境にして、絵画が写真になる。逆に前進すれば、写真は絵画になる。ここでは、知覚が情報を捨てることによって成立するということを思い知る。そして、だとすればリアリズムとは何なのかといった疑問が立ち現れてくる。
しかし、彼ら一般の鑑賞者にはそれが見えない。写真みたいだと言う時、対象から時間のモードは捨象され、画面が面として単一の認識のもとに置かれる。
写真に近づこうとすること、それ自体を不純だとは思わない。写真もまた、形式だからだ。
実は、ホキ美術館に行きたかった理由、あるいはリアリズム絵画の実物を見たかった理由は、もう一つある。それは最初に書いた「リアリズム絵画の方法は、何を可能にするのか」という疑問に連なるものである。
唐突だが、私が考えていたのはカール・ブロスフェルトの写真のことだ。彼は植物のクロースアップを多く撮った写真家で、その肉感的な植物の姿は、例えば昆虫の視点から見た植物の世界のような生々しさに満ちたものではなく、むしろ意味を剥ぎ取られたモノそれ自体が浮かび上がることによって捉えられたものである。
つまり、サイズの問題だ。
対象の大きさを変更することは、最もたやすい異化の方法だ。たやすいからと言って陳腐であるということでもなく、むしろ、普段認識しているサイズが崩されることは、日常感覚をも危うくする。
だからこそ、残念だった。展示された作品に描かれた対象のサイズが、ある作品を除いて、全く何の不安感を煽るものでもなかったからだ。風景はすべからく遠景であり、静物画は実物大かそれよりも大きく、人間は等身大かそれよりも小さく。特に人物画は、一部の自画像、肖像画を除いて、無名の女性をモデルにしたものばかり。どれも同じようなサイズで描かれた女性たちは、ストレートの髪の毛と、滑らかな肌、整った顔立ちを持ち、美しい以外の形容が浮かばない。多くは柔らかな光に包まれ、多くは柔らかな布をまとい、いくつかはソファやベッドに寝そべり、いくつかは露わになった背中をこちらに向けている。シンボルの形式? とてもそうは思えない。
それは、画家が守られる形式なのではないか。画家が、安心して対象の描写に打ち込める形式なのではないか。それは方法としてのリアリズムとは程遠い。自己目的化したリアリズム。リアリズムのためのリアリズム。やはり、リアリズム絵画はカルチャーセンターの行きつく先でしかないのか。
「絵画が省略によるシンボルの形式だとすれば、リアリズム絵画は、描かないという選択の放棄ではないか。だとすれば、対象を描き尽くした結果として、逆に描かれ得なかった何かがそこに表れるのではないか」
この疑問は、希望だった。今回の展覧会を紹介してくれた友人の美術家は、リアリズムに価値を認めていなかった。しかし、小説を書く身として、それはとても困ることでもある。なぜなら、小説における描写は、リアリズムに依拠するしかないからだ。言葉はいつでも現実に寄り添っている。仮に、その言葉の機能を裏切ることで幻想を描写しようとしたとしても、その裏切りそのものが言葉と現実の結び付きを前提にせずには成立しない。もちろん、小説と絵画は違う、と言うことはたやすい。しかし、それは何も生み出さない言葉だ。
美術館の最深部に位置するギャラリー8、その最後の方に、その絵はあった。
諏訪敦《untitled》――説明によると、それは彼の父の死に顔だった。それが、巨大な画面いっぱいに描かれている。唾液で一部がくっついた唇、皺と死の色に覆われた肌、そして、画面を横切って死斑のように現れた黒い染み。
実は、もう一人、途中で引っ掛かった画家がいた。磯江毅――小さな作品だったが、そこに響いていたのは死、だ。
死を描くのは難しい。死者を、死体を描けば死を描いたことになるのか。もちろん、ことはそんな単純な問題ではない。
先に私は、技術を時間のモードであると語った。それをもう少しだけ突き詰めてみたい。
伝統的絵画は、例えば時間をシンボル化して提示する。ある出来事の絵を描こうとすれば、そこに描かれるのは出来事の中の一瞬でしかないはずだが、人々はそこにその出来事の全体を見て取ろうとする(宗教画を考えると分かりやすいだろう)。この場合、物語の全体をシンボル化するのが技術であり、そこに織り込まれる時間は、技術が揮われる時間とは別次元における時間的持続である。
写真は、実はこれに近い。我々が写真を見て想起するのは、その瞬間ではなく、出来事や物語の全体であるからだ。スポーツを報道する写真、思い出のスナップショット、それらは現実の時間的持続から切り出された一瞬であり、当然そこには、いかに象徴的な瞬間を捉えられるかという技術が絡んでくるものの、基本的に技術そのものが揮われるのは一瞬である。
リアリズム絵画では、これと全く逆のことが起きる。リアリズム絵画では時間をシンボル化しない。モデルが現前する場合でもしない場合でも、時間を止めなくてはならないからだ。だからこそ、「リアリズムは空間を描く」と言われるのだろう。
写真はモデルの時間を止めることを必然としない。モデルを使ったグラビアの撮影などでも、互いに体を動かしながらひたすらシャッターを切っていく姿は容易に思い浮かぶだろう。しかし、リアリズム絵画は時間を止めなくてはならない。それは、すべからく対象をモノへと、死体へと転化する。
シンボルは省略の形式だ。なぜなら、瞬間を時間的持続へと転化するのは見る者の作業であり、見る者が補完を行うために空白は必須だからだ。しかし、リアリズムはその余地を与えない。鑑賞者が、その技術や写真との類似性をしか指摘できないのは、彼らが目にしているのが死体に他ならないからだ。しかし、その死体が雄弁に語り出した瞬間、人々は言葉を失う。諏訪敦《untitled》を前に、その技術を云々することができる人間はいまい。
リアリズムにおける死――それは、対象を描ききった時、その陰画として半ば必然的に立ち現われてしまうものである。だとするならば、その事実を技術として昇華することで描くことが可能になる非現前の世界がある。リアリズムであるがゆえに描くことのできる、非リアリズムの世界。それは、安易な言葉のつなぎ合わせでは、幻想は描けないという忠告でもある。現実を突き詰めること。これ以上描き尽くせないほどに。そして、それを描いた時に初めて生が浮かび上がる。現に、死者を描いたはずのこの絵が、他のどの絵よりも生々しかったことを、この美術館を訪れた誰もが認めるであろう。
ホキ美術館は開館一周年だそうである。これから、そのコレクションは充実していくだろう。そして、日本初の写実絵画専門美術館であればこそ、いたずらなリアリズムに耽溺するカルチャー集団がこの先も訪れ続けるだろう。美術館の目的の一つは、明確に教育である。彼ら彼女らから「写真みたい」の言葉を駆逐することは、決してホキ美術館の意図にそぐわないものではないはずだ。
今後の展開に期待し、いずれまた訪れる時を楽しみにしたい。
さて、ひとまず、諏訪敦と磯江毅の画集を取り寄せてみた。サイズの問題はあるにせよ、何かを見せてくれると期待している。
2011年07月17日 17:47
森美術館で開催されている「フレンチ・ウィンドウ展」(8月28日まで)に行ってきた。
「デュシャン賞にみるフランス現代美術の最前線」との副題通り、2000年に設立された同賞の10周年を記念した展覧会であり、グランプリ受賞作家、一部の最終選考作家にデュシャン本人を加えた総計28名の作品が公開されていた。
単刀直入に感想を言えば、物足りない、喰い足りない、となるだろうか。
それでも、例えばサーダン・アフィフ《どくろ》などは、そのアイディアとヴィジュアルそのもののインパクトに感心した。それは、床面に置かれた大小様々なステンレス(?)球が天井のモザイク模様を映し出すと、そこに「どくろ」が浮かび上がるというもの。ヴァニタス画の伝統をこういう形で回収するアイディアもさることながら、現代的な「虚栄」を表現する批評精神が憎い。
あるいは、フィリップ・ラメット《ゆがんだ鏡》もシニカルな作品だ。五つの点を中心に歪んだ鏡は、正面に立つ者の姿を正しく見せることはなく、自分の姿を捉えようと動けば動くほどに虚像は歪み、醜くもおかしい姿に出会うこととなる。一方で、平面の鏡それ自体は我々の姿を正しく映し出しているのか、ひいては、我々は自らを歪んだ形でしか認識できないのではないか、とも思わせられる。
あとは、そのテンションの高さに感心させられたトーマス・ヒルシュホーン《スピノザ・カー》が挙げられるくらいで、その他の作品は、アイディアもどこか煮え切らず、造作も中途半端な印象を受けた。
その点に関して、友人の美術家が、やりきらずに手を置くことの重要さを語っていた。日本人はそれが苦手であるため、作品が工芸品的になり、どれも似通ってしまうのだと。私個人としては、どうしてもそれは受け入れられない考えだ。やりきった上でそこからの引き算ならばいいが、やりきらずに手を置いてしまっては、なんら新しい風景は見えないのではないか。
純粋に鑑賞者としての立場で言えば、もちろんやりきらないことによって引き出される鑑賞者のインタラクションというのもあるわけで、作り込みが細密になればなるほど、作品の完結性が高まる分、鑑賞者が入り込む余地が減少するというのも十分に分かる。しかし、やりきったところからの引き算、という発想はないのだろうか。ここまでやれるからこそ生まれる、あえてやらないことの意味。
それを顕著に感じたのが、MAMプロジェクトで公開されていた田口行弘の作品だ。何枚もの材木や畳を使ったストップモーションの映像作品なのだが、その奇妙なぶっ飛び具合が秀逸。材木や畳が、とにかく動いて動いて動き倒す。特に畳の方は、そこに人格が見えるかのような、見ているだけで楽しくなるような、そんな作品だ。
それは確かに面白いだけ、かもしれない。一方で、その制作ドキュメンタリーを以って、コミュニケーションとしての制作を語ることも可能かもしれない。あるいは、ウェブ上でクオリティの高いストップモーションムービーが一般の人の手で作られている現状で、美術家がその方法をどのような作品に高めることができるのか、その一つの具体例となりうる作品だ、とうそぶくこともできる。
しかし、もう単純に言ってしまって、それは面白いのだ。そこまでやるのか、という部分がある一方で、そこまでやりながら、そこは詰めないのか、という変な力の抜けよう。それは、行きすぎるところをきちんと行きすぎるからこそ生まれるおかしさなのだと思う。
であれば、「フレンチ・ウィンドウ展」は何物でもなかったのか、と言えばもちろんそんなことはない。物足りない、喰い足りない分、私ならこうやるのに、この方法が使えるのに、と、湧き上がる意欲を生み出してくれたのは間違いなく「フランス現代美術の最前線」なのだ。
だとするなら、日本がもっと文化的に成熟するのに必要なのは、完成された美しい作品よりも、もっとこういう未成熟で、こちらが手を差し伸べたくなるような、その解釈について議論をせずにいられないようなものなのかもしれない。
「デュシャン賞にみるフランス現代美術の最前線」との副題通り、2000年に設立された同賞の10周年を記念した展覧会であり、グランプリ受賞作家、一部の最終選考作家にデュシャン本人を加えた総計28名の作品が公開されていた。
単刀直入に感想を言えば、物足りない、喰い足りない、となるだろうか。
それでも、例えばサーダン・アフィフ《どくろ》などは、そのアイディアとヴィジュアルそのもののインパクトに感心した。それは、床面に置かれた大小様々なステンレス(?)球が天井のモザイク模様を映し出すと、そこに「どくろ」が浮かび上がるというもの。ヴァニタス画の伝統をこういう形で回収するアイディアもさることながら、現代的な「虚栄」を表現する批評精神が憎い。
あるいは、フィリップ・ラメット《ゆがんだ鏡》もシニカルな作品だ。五つの点を中心に歪んだ鏡は、正面に立つ者の姿を正しく見せることはなく、自分の姿を捉えようと動けば動くほどに虚像は歪み、醜くもおかしい姿に出会うこととなる。一方で、平面の鏡それ自体は我々の姿を正しく映し出しているのか、ひいては、我々は自らを歪んだ形でしか認識できないのではないか、とも思わせられる。
あとは、そのテンションの高さに感心させられたトーマス・ヒルシュホーン《スピノザ・カー》が挙げられるくらいで、その他の作品は、アイディアもどこか煮え切らず、造作も中途半端な印象を受けた。
その点に関して、友人の美術家が、やりきらずに手を置くことの重要さを語っていた。日本人はそれが苦手であるため、作品が工芸品的になり、どれも似通ってしまうのだと。私個人としては、どうしてもそれは受け入れられない考えだ。やりきった上でそこからの引き算ならばいいが、やりきらずに手を置いてしまっては、なんら新しい風景は見えないのではないか。
純粋に鑑賞者としての立場で言えば、もちろんやりきらないことによって引き出される鑑賞者のインタラクションというのもあるわけで、作り込みが細密になればなるほど、作品の完結性が高まる分、鑑賞者が入り込む余地が減少するというのも十分に分かる。しかし、やりきったところからの引き算、という発想はないのだろうか。ここまでやれるからこそ生まれる、あえてやらないことの意味。
それを顕著に感じたのが、MAMプロジェクトで公開されていた田口行弘の作品だ。何枚もの材木や畳を使ったストップモーションの映像作品なのだが、その奇妙なぶっ飛び具合が秀逸。材木や畳が、とにかく動いて動いて動き倒す。特に畳の方は、そこに人格が見えるかのような、見ているだけで楽しくなるような、そんな作品だ。
それは確かに面白いだけ、かもしれない。一方で、その制作ドキュメンタリーを以って、コミュニケーションとしての制作を語ることも可能かもしれない。あるいは、ウェブ上でクオリティの高いストップモーションムービーが一般の人の手で作られている現状で、美術家がその方法をどのような作品に高めることができるのか、その一つの具体例となりうる作品だ、とうそぶくこともできる。
しかし、もう単純に言ってしまって、それは面白いのだ。そこまでやるのか、という部分がある一方で、そこまでやりながら、そこは詰めないのか、という変な力の抜けよう。それは、行きすぎるところをきちんと行きすぎるからこそ生まれるおかしさなのだと思う。
であれば、「フレンチ・ウィンドウ展」は何物でもなかったのか、と言えばもちろんそんなことはない。物足りない、喰い足りない分、私ならこうやるのに、この方法が使えるのに、と、湧き上がる意欲を生み出してくれたのは間違いなく「フランス現代美術の最前線」なのだ。
だとするなら、日本がもっと文化的に成熟するのに必要なのは、完成された美しい作品よりも、もっとこういう未成熟で、こちらが手を差し伸べたくなるような、その解釈について議論をせずにいられないようなものなのかもしれない。
2011年07月17日 12:27
東京都現代美術館で開催されている「名和晃平―シンセシス」展(8月28日まで)に行ってきた。
鹿の剥製を無数のクリスタル球で覆い尽くした作品があまりにも有名な名和晃平氏だが、今回の個展ではその「BEADS」シリーズを含めた全12のシリーズが公開されている。どれも、インターネットによる高度情報化社会における我々の認知構造に疑問を投げかける鋭い批評性と、作品そのものとしての精緻な魅力、そして、その両者を統合する素材へのアプローチとテーマ性の連関において、他の作家の追随を許さない素晴らしい作品ばかりだ。
以前、「G-tokyo 2010」において開催された、建築家石上純也氏とのトークセッションで語られていたことだが、まずはコンセプトありき、その上でそれを実現しうる素材との出会いを求めるのだそうだ。例えば「LIQUID」シリーズは、床面に溜められたシリコーンオイルを発光させ、グリッド状に並んだ点において発泡させ続けるという作品だが、これはシリコーンオイルという素材――自由に粘度が調整でき、有機物と無機物の中間のような分子構造を持つ、のだそうだ――との出会いによって実現したものだということだった。あるいは「BEADS」シリーズに用いられているクリスタルガラスは、直径3〜250ミリの物が用いられているそうだが、大きいものは非常に重く、それを貼りつけるためには、そもそも技術的な問題をクリアしなくてはならなかったらしい。
しかしそれでも、いやそれだからこそ、名和氏はアナログな素材にこだわると言う。世界の表層がデジタル化されることへの違和感を礎に、アナログな物体をピクセル化するにあたって、敢えてアナログな素材を用いることが、すなわちデジタルであるはずのピクセルがアナログとして成立することを示すことが批評性を持つと言うのである。「BEADS」シリーズのクリスタルガラスの透明度へのこだわりは、我々の目にするディスプレイが、どこまでも透明な身振りをしつつも、決してそれが透明ではあり得ないことを示唆するためには、必須の条件だったということだ。
一方で今回、「BEADS」には別様の進化もみられた。タイトルに《Double》と冠されたいくつかの作品、そこに下地として置かれた鹿の剥製はその名の通り二重化され、それぞれの身体/映像は重なり侵食し合っている。あるいは《.eXe》と冠された作品は、剥製になる前の毛皮を「BEADS」で覆い尽くす。共に、セルの向こうの図像が奇形化すると同時に、セルに覆われることによって奇形性が無化されていく。その作品を美しいと感じてしまうことが、奇形の持つ批評性を暴力的に回収することと同義なのだ。
上記《Double》とのテーマ上の類似性を持つのが「POLYGON」シリーズで、その作品の殆どに《Double》の名が冠されている。これは、人の全身を3D図像としてスキャンした多面体(ポリゴン)データから、解像度の異なる二つの3D図像を作り出し、一部を重ね合わせつつずらして作り上げた彫像である。我々の姿はデータ化され、ネットワーク上ではキャラの立った解像度の荒い自我として構成される。そこからずれた位置にいる解像度の細かい我々自身もまた、実は表面に顕在化した意味によって自我を成立させている。白く巨大な彫像は、一見タブラ・ラサのように見えながら、表皮が既に意味を持ってしまっていることを印象付ける。そして何より、それがディスプレイにはおさまりきらないほど巨大な作品であるということに恐怖を覚える。物によっては4メートルを超えるこの彫像は、我々がディスプレイの中に矮小化し支配しているつもりの自我というものが、本当はいかに巨大で我々の手に負えないものであるのかを示しているようだ。
コントロールを離れた肥大化ということで言えば、「VILLUS」から「SCUM」へ続く作品群が秀逸だ。オブジェに発泡ポリウレタンを霧状に散布すると、オブジェのテクスチャから柔毛(VILLUS)が伸びていく。この段階ではテクスチャの形は保存されているが、これが更に進行するとヴォリュームだけが存在する「SCUM」となる。細胞の生成・増殖は、オリジナルの固有性を内に秘めながらも、それを決して表に出すことなく、ただただ肥大化していく。これもまた、細胞分裂のように増殖を繰り返しながら、徐々にその形を失っていき、細胞それ自体がコントロール不能のオブジェと化すネット世界の末路を見るようだ。
名和氏のこういった姿勢は、コンセプトを貫いて熟慮を続けることと、それに適合する方法を考え続けることがいかに重要であるかを思い知らせてくれる。そして、それが精緻に実行され、その結晶として作品が現れることには、静かだが熱い戦いの痕跡を見てとらずにいられない。
さて、名和晃平初の作品集となる図録の発売が7月の末に予定されている。その一万円という価格は確かに高いが、どうしてもその存在を無視することはできない。実に困った戦いになりそうだ。
鹿の剥製を無数のクリスタル球で覆い尽くした作品があまりにも有名な名和晃平氏だが、今回の個展ではその「BEADS」シリーズを含めた全12のシリーズが公開されている。どれも、インターネットによる高度情報化社会における我々の認知構造に疑問を投げかける鋭い批評性と、作品そのものとしての精緻な魅力、そして、その両者を統合する素材へのアプローチとテーマ性の連関において、他の作家の追随を許さない素晴らしい作品ばかりだ。
以前、「G-tokyo 2010」において開催された、建築家石上純也氏とのトークセッションで語られていたことだが、まずはコンセプトありき、その上でそれを実現しうる素材との出会いを求めるのだそうだ。例えば「LIQUID」シリーズは、床面に溜められたシリコーンオイルを発光させ、グリッド状に並んだ点において発泡させ続けるという作品だが、これはシリコーンオイルという素材――自由に粘度が調整でき、有機物と無機物の中間のような分子構造を持つ、のだそうだ――との出会いによって実現したものだということだった。あるいは「BEADS」シリーズに用いられているクリスタルガラスは、直径3〜250ミリの物が用いられているそうだが、大きいものは非常に重く、それを貼りつけるためには、そもそも技術的な問題をクリアしなくてはならなかったらしい。
しかしそれでも、いやそれだからこそ、名和氏はアナログな素材にこだわると言う。世界の表層がデジタル化されることへの違和感を礎に、アナログな物体をピクセル化するにあたって、敢えてアナログな素材を用いることが、すなわちデジタルであるはずのピクセルがアナログとして成立することを示すことが批評性を持つと言うのである。「BEADS」シリーズのクリスタルガラスの透明度へのこだわりは、我々の目にするディスプレイが、どこまでも透明な身振りをしつつも、決してそれが透明ではあり得ないことを示唆するためには、必須の条件だったということだ。
一方で今回、「BEADS」には別様の進化もみられた。タイトルに《Double》と冠されたいくつかの作品、そこに下地として置かれた鹿の剥製はその名の通り二重化され、それぞれの身体/映像は重なり侵食し合っている。あるいは《.eXe》と冠された作品は、剥製になる前の毛皮を「BEADS」で覆い尽くす。共に、セルの向こうの図像が奇形化すると同時に、セルに覆われることによって奇形性が無化されていく。その作品を美しいと感じてしまうことが、奇形の持つ批評性を暴力的に回収することと同義なのだ。
上記《Double》とのテーマ上の類似性を持つのが「POLYGON」シリーズで、その作品の殆どに《Double》の名が冠されている。これは、人の全身を3D図像としてスキャンした多面体(ポリゴン)データから、解像度の異なる二つの3D図像を作り出し、一部を重ね合わせつつずらして作り上げた彫像である。我々の姿はデータ化され、ネットワーク上ではキャラの立った解像度の荒い自我として構成される。そこからずれた位置にいる解像度の細かい我々自身もまた、実は表面に顕在化した意味によって自我を成立させている。白く巨大な彫像は、一見タブラ・ラサのように見えながら、表皮が既に意味を持ってしまっていることを印象付ける。そして何より、それがディスプレイにはおさまりきらないほど巨大な作品であるということに恐怖を覚える。物によっては4メートルを超えるこの彫像は、我々がディスプレイの中に矮小化し支配しているつもりの自我というものが、本当はいかに巨大で我々の手に負えないものであるのかを示しているようだ。
コントロールを離れた肥大化ということで言えば、「VILLUS」から「SCUM」へ続く作品群が秀逸だ。オブジェに発泡ポリウレタンを霧状に散布すると、オブジェのテクスチャから柔毛(VILLUS)が伸びていく。この段階ではテクスチャの形は保存されているが、これが更に進行するとヴォリュームだけが存在する「SCUM」となる。細胞の生成・増殖は、オリジナルの固有性を内に秘めながらも、それを決して表に出すことなく、ただただ肥大化していく。これもまた、細胞分裂のように増殖を繰り返しながら、徐々にその形を失っていき、細胞それ自体がコントロール不能のオブジェと化すネット世界の末路を見るようだ。
名和氏のこういった姿勢は、コンセプトを貫いて熟慮を続けることと、それに適合する方法を考え続けることがいかに重要であるかを思い知らせてくれる。そして、それが精緻に実行され、その結晶として作品が現れることには、静かだが熱い戦いの痕跡を見てとらずにいられない。
さて、名和晃平初の作品集となる図録の発売が7月の末に予定されている。その一万円という価格は確かに高いが、どうしてもその存在を無視することはできない。実に困った戦いになりそうだ。
2011年07月10日 22:25
東京都写真美術館で開催されている「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」展(7月18日まで)に行ってきた。
いわゆるジャーナリズム写真は、これまでもそれなりに鑑賞してきたが、今回胸に去来した思いは格別のものだった。それは、私個人のものではなく、どうやら多くの人に共有されたものらしいということは、図録の完売という異例の事態によっても知ることができる。これは平凡社から発売されているものなので一般書店でも購入可能なものなのだが(私自身も、家の近くの大きな書店で無事に手に入れることができた)、今改めて手元で眺めながら、やはり素晴らしい写真集だと感じる。
(タイトルは『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻 1968』である。7月10日現在、Amazonサイト上では出品者からの購入のみになっている。)
「プラハ侵攻」の歴史的な意味について、私にはここで語るだけの言葉はない。だから、東京都写真美術館の説明を以下に転載して、お茶を濁そうとしている。
「1938年、チェコスロバキア(現在のチェコ)に生まれたジョセフ・クーデルカは、1968年8月に起こったワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻「チェコ事件」時、団結して兵士に抵抗した市民の攻防を写真におさめました。しかし、“プラハの春”と呼ばれる変革運動が終焉を迎え、ソ連が導く共産主義へと「正常化政策」が敷かれる中では、これらの写真は国家から許される記録ではありませんでした。
そこで、これらの写真はプラハの写真史家とスミソニアン博物館の学芸員等の手によって秘密裏にアメリカへ持ち出され、当時のマグナム会長エリオット・アーウィットを経て、翌1969年「プラハの写真家」という匿名者によるドキュメントとして発表。写真家の名を伏せたまま、ロバート・キャパ賞を受賞しました。クーデルカがこの写真の作者であると名乗りを上げることができたのは1984年、彼の父親がチェコで亡くなった後のことでした。東西に分断された欧州や冷戦下の政治的状況を顕したこれらのエピソードは、20世紀の伝説となり、世界中のジャーナリストたちによって語り継がれています。」
(http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1353.html)
この展覧会を見た大半の人間が、「プラハの春」と「チェコ事件」をめぐる(最低限の)世界史的な知識は持ち合わせているだろうし、もちろんクーデルカの名前も同じ意味で知っているだろう。であればこそ、これらの写真の意味を、おそらく十全には理解しえない。
ここで問題にしたいのは、それでも多くの人がこの4000円もする重い写真集を購入し、そしてきっと、ふとした瞬間にそのページをめくりたい衝動に駆られるという、その事実である。何故、クーデルカのこの写真は、あらゆる意味で我々にとって非常に遠いはずのこの「チェコ事件」を、強い意味をもつものに変えてしまうのか。
私は、それを、視点の問題であると感じた。ちょうど、展示室を出た所に、小森陽一氏が寄稿した朝日新聞の展覧会広告が掲出されていたのだが、それを読んで感じたことである。
ジャーナリズムの写真の全てについて、そのように言うつもりはない。それでも、写真家その人と出来事との間にはいくらかの距離がある。時には、完全に外部の視点によって出来事が捉えられている。あるいは、それが外部の視点だからこそ可能になった写真も多くある。一方、このクーデルカの写真には、その距離というやつがほとんど感じられない。もちろん、それが写真である以上、客観的な視点が実現されていることは確かなのだが、その眼差しには、抑えきれない意志が滲み出ている。それは、この出来事に巻き込まれた人間にしか持ちえない意志だ。怒りは、その出来事を知っていれば抱くことができる。そこにいる人たちに同情や共感することができれば抱くことができる。しかし、これらの写真に表れた複雑な意志、あるいはそこから生まれる使命感というのは、知識や共感だけでは生み出されない。
だからだろうか、終わった後に小説のことを考えた。三人称視点の可能性について考えた。三人称でしか描けない世界の出来事のことを考えた。
『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻 1968』――この写真集が素晴らしいことは確かだ。しかし、この本の上には言葉が溢れている。放送や証言、新聞からの引用など、様々な〈声〉が溢れている。そしてそれらの〈声〉は、この本の上に書かれることによって、実際にはただ溢れていた〈声〉に一定の文脈を与えることになる。もちろん、そのことによって「プラハ侵攻 1968」を振り返ることに価値が生まれる。だからこそ、私たちは、この写真集を読まなくてはならない、とすら思う。
それでも、展覧会で見たクーデルカの写真それ自体は、もっと複雑だった。当たり前の日常に襲いかかる大波、その中で生き、あるいは死ぬ人々、強いまなざしにさらされて戸惑う兵士――それらは、写真集の〈声〉にも反映されている。しかし、それに写真機を向けていたクーデルカは、もっと複雑だったはずだ。写真集を読む私たちの想像も及ばないほど、複雑だったはずだ。
それでも、その複雑さは、私たちの眼差しを写真に釘付けにする。それは明確に、力だ。だとすれば、小説もまた、いかに語るかを考える時、この事実を無視することはできない。
写真は、どうあがいても一人称であるしかない。出来事の中にいなくては、写真を撮ることができないからだ。しかし同時に、写真は、どうあがいても三人称であるしかない。写真家は必ず、ファインダーのこちら側にいなくてはならないからだ。それでも、そこにいない写真家の姿が、単に視点を選びとった主体として以上の意味をもって浮上する可能性があるのであれば――。
写真集を手にしている今、それを見ながら考えるのは、ここに書いたようなことではない。それでも、この展覧会を見たことが、この先書く小説に大きな影響を与えることの実感は、既に私の中にある。
いわゆるジャーナリズム写真は、これまでもそれなりに鑑賞してきたが、今回胸に去来した思いは格別のものだった。それは、私個人のものではなく、どうやら多くの人に共有されたものらしいということは、図録の完売という異例の事態によっても知ることができる。これは平凡社から発売されているものなので一般書店でも購入可能なものなのだが(私自身も、家の近くの大きな書店で無事に手に入れることができた)、今改めて手元で眺めながら、やはり素晴らしい写真集だと感じる。
(タイトルは『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻 1968』である。7月10日現在、Amazonサイト上では出品者からの購入のみになっている。)
「プラハ侵攻」の歴史的な意味について、私にはここで語るだけの言葉はない。だから、東京都写真美術館の説明を以下に転載して、お茶を濁そうとしている。
「1938年、チェコスロバキア(現在のチェコ)に生まれたジョセフ・クーデルカは、1968年8月に起こったワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻「チェコ事件」時、団結して兵士に抵抗した市民の攻防を写真におさめました。しかし、“プラハの春”と呼ばれる変革運動が終焉を迎え、ソ連が導く共産主義へと「正常化政策」が敷かれる中では、これらの写真は国家から許される記録ではありませんでした。
そこで、これらの写真はプラハの写真史家とスミソニアン博物館の学芸員等の手によって秘密裏にアメリカへ持ち出され、当時のマグナム会長エリオット・アーウィットを経て、翌1969年「プラハの写真家」という匿名者によるドキュメントとして発表。写真家の名を伏せたまま、ロバート・キャパ賞を受賞しました。クーデルカがこの写真の作者であると名乗りを上げることができたのは1984年、彼の父親がチェコで亡くなった後のことでした。東西に分断された欧州や冷戦下の政治的状況を顕したこれらのエピソードは、20世紀の伝説となり、世界中のジャーナリストたちによって語り継がれています。」
(http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1353.html)
この展覧会を見た大半の人間が、「プラハの春」と「チェコ事件」をめぐる(最低限の)世界史的な知識は持ち合わせているだろうし、もちろんクーデルカの名前も同じ意味で知っているだろう。であればこそ、これらの写真の意味を、おそらく十全には理解しえない。
ここで問題にしたいのは、それでも多くの人がこの4000円もする重い写真集を購入し、そしてきっと、ふとした瞬間にそのページをめくりたい衝動に駆られるという、その事実である。何故、クーデルカのこの写真は、あらゆる意味で我々にとって非常に遠いはずのこの「チェコ事件」を、強い意味をもつものに変えてしまうのか。
私は、それを、視点の問題であると感じた。ちょうど、展示室を出た所に、小森陽一氏が寄稿した朝日新聞の展覧会広告が掲出されていたのだが、それを読んで感じたことである。
ジャーナリズムの写真の全てについて、そのように言うつもりはない。それでも、写真家その人と出来事との間にはいくらかの距離がある。時には、完全に外部の視点によって出来事が捉えられている。あるいは、それが外部の視点だからこそ可能になった写真も多くある。一方、このクーデルカの写真には、その距離というやつがほとんど感じられない。もちろん、それが写真である以上、客観的な視点が実現されていることは確かなのだが、その眼差しには、抑えきれない意志が滲み出ている。それは、この出来事に巻き込まれた人間にしか持ちえない意志だ。怒りは、その出来事を知っていれば抱くことができる。そこにいる人たちに同情や共感することができれば抱くことができる。しかし、これらの写真に表れた複雑な意志、あるいはそこから生まれる使命感というのは、知識や共感だけでは生み出されない。
だからだろうか、終わった後に小説のことを考えた。三人称視点の可能性について考えた。三人称でしか描けない世界の出来事のことを考えた。
『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻 1968』――この写真集が素晴らしいことは確かだ。しかし、この本の上には言葉が溢れている。放送や証言、新聞からの引用など、様々な〈声〉が溢れている。そしてそれらの〈声〉は、この本の上に書かれることによって、実際にはただ溢れていた〈声〉に一定の文脈を与えることになる。もちろん、そのことによって「プラハ侵攻 1968」を振り返ることに価値が生まれる。だからこそ、私たちは、この写真集を読まなくてはならない、とすら思う。
それでも、展覧会で見たクーデルカの写真それ自体は、もっと複雑だった。当たり前の日常に襲いかかる大波、その中で生き、あるいは死ぬ人々、強いまなざしにさらされて戸惑う兵士――それらは、写真集の〈声〉にも反映されている。しかし、それに写真機を向けていたクーデルカは、もっと複雑だったはずだ。写真集を読む私たちの想像も及ばないほど、複雑だったはずだ。
それでも、その複雑さは、私たちの眼差しを写真に釘付けにする。それは明確に、力だ。だとすれば、小説もまた、いかに語るかを考える時、この事実を無視することはできない。
写真は、どうあがいても一人称であるしかない。出来事の中にいなくては、写真を撮ることができないからだ。しかし同時に、写真は、どうあがいても三人称であるしかない。写真家は必ず、ファインダーのこちら側にいなくてはならないからだ。それでも、そこにいない写真家の姿が、単に視点を選びとった主体として以上の意味をもって浮上する可能性があるのであれば――。
写真集を手にしている今、それを見ながら考えるのは、ここに書いたようなことではない。それでも、この展覧会を見たことが、この先書く小説に大きな影響を与えることの実感は、既に私の中にある。













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